輝く人の輪を、社会に広げたい。

東京・銀座に本社を置く、株式会社ランクアップ。オリジナルブランド『マナラ』化粧品の開発および製造販売を行い2005年の設立以来、13期連続で売上を伸ばし、昨年度(2017年9月期)は100億円を突破している。従業員一人当たりの売上は、約2億円という超優良企業。同社は、女性が活躍する会社としても知られ、従業員のほとんどを占める女性の半数は子育て中で、午後5時にはほぼ全員が退社。仕事と家庭を両立できるように様々な制度を設けている。ベンチャー企業の理想ともいうべき会社をつくってきたのは、創業者であり代表取締役でもある岩崎裕美子氏。ここまで順風満帆に成長してきたかと思いきや、インタビュー中に返ってきたのは「売上が上がるにつれ、社内が暗くなっていった」という意外な過去だった。

23歳の時に芽生えた経営者への想い

ランクアップを設立したのは37歳の時ですが、じつは23歳からずっと経営者になりたいという思いを抱いていました。私は北海道の当別町という小さな町の出身。札幌市内の短大を卒業して、JTBの札幌支社に就職しました。当時は、好きな旅行業に携わりながらお嫁さんになるまで働けたらいいなというくらいの気持ちで働いていました。そんな私を変えたのが、同じ町出身の1つ上の先輩でした。その先輩は、酪農家の長男でしたが高校卒業後に自力で事業を始め、わずか数年で大成功をおさめたんです。そんな先輩が、ある日、職場に遊びに来てくれたんですね。オープンカーに乗って颯爽と(笑)。話を聞いて、人生がひっくり返るほどの衝撃を受けました。私はそれまで経営者として成功する人は、自分とは無縁の人たちだと思っていました。でも、先輩は私と同じあんな小さな町の出身で、学歴もなく、何の後ろ盾もないなかでそれを成し遂げた。純粋にすごい!って思ったんです。その時から、私のなかに「いつか経営者になりたい」という思いが芽生えたのです。

株式会社ランクアップ 代表取締役
岩崎裕美子氏

超ブラック企業で深夜まで働く日々

JTBを退職した私は、まずビジネスの世界を知らなくちゃと思い、札幌市内の広告代理店に転職しました。仕事は、書店で使う雑誌袋に同封するチラシ広告の営業です。最初の仕事を受注するのに3ヶ月かかり、その後も何度もクビになりそうになりながらも、ひたすらがんばり続けた結果、5年後にようやく主任に昇格。そんななか、当時の上司の独立をきっかけに、その上司が東京で始めた広告代理店へ転職することにしたのです。

転職先では、自分の給料は自分で稼がなければならないという状況のなか、ひたすら営業活動を行い、毎日夜遅くまで働きました。少しずつ会社は成長し、設立7年で社員20人、売上約20億円まで成長しました。でも、この成長は、全社員が深夜まで働くという長時間労働が支えていました。しかも社長以外は全員が若い女性だったということもあり、「この職場では仕事を続けられない!」と言われ、優秀な社員たちが次々と辞めていったんです。この現実を目の当たりにし、女性の働き方について強く意識するようになっていきました。当時、私は営業本部長でした。この状況を打破するために残業を減らすことを社長に直談判しましたが、なかなか改善することができず、結局は女性社員が退職していくのをただ見ているだけ。そこで「理想の会社は自分でつくるしかない!」と決意し、会社を退職。部下だった日高由紀子(現取締役)と一緒に、ランクアップを立ち上げました。自室の一角に事務机と電話を置いただけのスタートでした。

取締役の日高由紀子氏。 岩崎氏と共ににランクアップを立ち上げた。

なぜ素人が化粧品をつくったのか

会社をつくるにあたって、なぜまったく畑違いの化粧品を?とよく聞かれます。理由は、前職時代に、自分の肌がボロボロだったからです。当時の私の肌は、激務のせいで荒れ果て、年齢より10歳以上も老けて見られていました。もちろん、何も手を打たなかったわけではありません。むしろ人一倍努力して良い化粧品はないかと探し、試してみました。ところが、知れば知るほど唖然とするばかり。クレンジングオイルの中身に台所用洗剤と同じような成分が使われていると知った時などは、ショックのあまり泣きそうになりました。「こうなったら自分が納得できる化粧品を自分でつくるしかない」という切実な気持ちが、化粧品をやろうと思ったきっかけでした。

「効果がしっかり実感できて、なおかつ肌に優しい化粧品をつくりたい」そう決意したものの想いだけでは会社はできません。まずは製造会社を見つけて商品を開発しなければいけませんでした。化粧品の裏面にある製造元を調べ、直接電話し、会ってくれる会社を訪ね歩く日々が続きました。ある程度予想はしていたものの厳しい現実が待っていました。化粧品は数ある商品の一つと考えている会社ばかりで、私たちの想いは空回りするばかりでした。くじけずにがんばれたのは、もう後には戻れないという気持ちだけでした。

そんななか、ようやく私たちの想いに共感してくれる会社に出会ったのです。埼玉県にある小さなメーカーでしたが、研究者でもある社長さんに「一緒に挑戦してみましょう!」と言っていただくことができました。それからおよそ1年、100回以上もの試作を繰り返して生まれたのが、マナラ化粧品第一号『ホットクレンジングゲル』です。この製品は、マナラを代表する製品になり、発売から累計販売数1000万本(2018年6月現在)を超えるヒット製品となっています。

自分たちの欲しい製品しかつくらない

『ホットクレンジングゲル』の発売から、13年。今、マナラ化粧品は実感と安心にこだわった様々な製品を、主に通信販売を通してたくさんのお客様にお届けしています。私たちの製品づくりの指針は、創業当時とまったく変わっていません。それは、「自分たちの欲しいモノしかつくらない」ということ。私たちにはマーケティングをして「売れるモノをつくる」という発想はなく、これまで発売してきたすべての製品は、自分たちが日常生活のなかで「こんな製品があったら」という気づきを原点にしたものばかりです。

たとえば、『ホットクレンジングゲル』に次ぐヒット製品となった『BBリキッドバー』は、わずか30秒でメイクができるバータイプのファンデーション。この製品は、ママになった社員が赤ちゃんのお世話が忙しくてメイクができない悩みから生まれたものです。「モイストウオッシュゲル」という製品も、ママが考えました。ママになると忙しくて、洗顔の泡を立てることすら面倒くさいんですよね。そこで、ふきとるだけでツルツルになるというふきとり洗顔を作ったのですが、なんと14億円も売れる大ヒットとなりました。

売上と反比例して暗くなる社内

社員のなかから製品づくりにつながるような発想やアイデアが生まれてくるのは、残業がなく、定時に帰れるランクアップの環境も寄与していると思います。こうした働く環境をつくるのは会社を設立した時からの目標でしたが、現在のような形になったのは、私の出産がきかっけでした。ランクアップの従業員は20代30代の女性がほとんどなので、みんなにも私と同じようなライフイベントがやってくる。その時に仕事も子育ても楽しんで欲しいと本気で思ったのです。

残業をなくすために、アウトソーシングの活用、ルーティーンワークのシステム化、事務職の廃止、業務スピードを上げるためのルールなどの仕組みをつくり、さらには「17時に帰っていいよ」制度(仕事が終われば、定時より30分早い17時に帰れる)なども設けました。実施したばかりの頃は、働く時間を短くすると売上も減るのではないかと心配しましたが、そんな心配をよそに売上は上がり続けたのです。

こんなふうにお話をすると、ランクアップはさぞかし順風満帆に成長してきたように思われるかもしれません。でも実際には、そんなことはありませんでした。驚くかもしれませんが、会社が成長すればするほど社内はどんどん暗くなっていったのです。

定時に帰れるだけでは社員は幸せになれない

当時の社内は、たとえばこんなふうでした。みんな無表情で出社して、朝礼も仕事中もお通夜のよう。響くのは私の声ばかりで、休憩室は会社の悪口とうわさ話で溢れている。以前の会社に比べたらここは天国のはずなのに、一体どうしてこんなことが起こるのか。私にはその理由がわかりませんでした。そうこうするうちに、体調を崩して休職させてほしいという社員も現れ、私はますます混乱しました。

原因がわかったのは、外部の講師の方を招いて会社でのやりがいを考える研修を実施した時でした。その研修で社員の内に秘めていた想いがはじめてわかったのです。「仕事をしても満たされない」「なんのために働いているかわからない」「やりがいなんて持てるはずがない」…。社員の訴えのあまりの切実さに、その場にいた講師の方が電話をくれ、「岩崎さん、今からこの研修所に来て、社員のみなさんに謝ってください」と言われました。私はびっくりして、すぐに駆けつけ、みんなの前で謝りました。社員がなぜ暗いか。答えがそこにありました。それは、私が社員をまったく認めていなかったからだったのです。私はそれまである程度のお給料と休息できる休みがあれば、それが働きやすい環境なんだと思い込んでいたのです。思い返してみれば、私は「ランクアップをどんな会社にしたいのか?」「社員一人ひとりに何を期待しているのか?」「どんなふうに成長して欲しいと思っているのか?」なにひとつ説明してきませんでした。だから、みんなは目的もわからず、私から言われたことをやるだけ。それは仕事ではなく作業です。そんな会社で働くことが楽しいはずがありません。

「挑戦」を経営の真ん中に据える

ランクアップという会社は何を大切にしているのか。私は、はじめて自分の会社のことを真剣に考え、それを社員に伝えなければと思いました。人の価値観は、人それぞれです。ですから価値観を無理に合わせることはできません。でも、会社としての価値観を決めれば、少なくとも指針ができ、みんなもそれに向かって行動してくれるのではないかと考えたのです。創業メンバーの日高と考え抜いて出した答えは、「挑戦」でした。そうなんです。ありきたりの言葉なのかもしれませんが、私は“挑戦”が大好きなのです。だからこそ、23歳の時に経営者になりたいと思い、何もないなかで会社を立ち上げたんです。社名のランクアップにしたのも、現状に留まることなく、つねに挑戦して成長していきたかったから。そんな自分たちの原点を見つめ直し、「挑戦」という価値観に決めた時、自分たちがつくりかった会社の姿がやっと見出せた思いがして、心が一気に晴れるような気持ちでした。

そのことを全社員の前で発表した時、社員はみんなぽかんとしていました。挑戦が好きだなんてそれまで一度も話したことがなかったのですから無理ありません。それでも、ぶれることはありませんでした。いろんな機会を見つけては、「挑戦」を言い続けました。

時間はかかりましたが、少しずつ浸透していくのがわかりました。そして、とうとうある社員から新製品のイベントをやってみたいという提案が上がってきたのです。全面的に任せたイベントは大成功!お客様からもたくさんの喜びの声をいただき、感動的な1日になりました。社員の幸せは、人から必要とされ、やりがいのある仕事ができることなんだ。こんなあたりまえのことに気づくまで、6年以上もかかりましたが、気づくことができて本当に良かった。

私が発した「挑戦」は、それから社員一人ひとりの「挑戦」に広がり、会社全体の風土になっていきました。今のランクアップは、迷うことがあったら、迷うことなく「挑戦」を選ぶ。新製品の開発や社内のイノベーション、いつも誰かが新しいプロジェクトを立ち上げ実行する会社になっています。私の役割も大きく変わり、今は全体の舵取りだけで、個々の施策はすべて担当する社員に任せています。すべての施策が、挑戦という価値観に基づいていることがわかるので、心から信頼して任せることができるのです。

事業を立ち上げ経営者として活躍して欲しい

今後力を入れてやってきたいことは2つあります。ひとつは、海外展開。すでに化粧品事業はアジアにも進出しており、台湾に支社も設けました。アジアでのビジネスは日本と勝手が違うところがありますが、将来的には日本国内と同じ売上規模にしていきたいと考えています。「美しくなりたい」「健康でありたい」という世界中の女性の悩みを解決できたら嬉しいですね。もうひとつは、事業の多角化です。私には設立当初から化粧品だけでなく、いろんな事業をやっていきたいという夢がありました。マナラブランドは、すでにサプリメントやアパレル事業まで広がってきていますが、これからは美と健康以外の事業も手掛けていくようになるでしょうね。新しい事業の芽を見つけていくための提案会も毎月やっています。移動型保育園とか、離乳食の宅配とか、残業撲滅のコンサルティングとか、いろんなアイデアが出てきます。面白いなというアイデアには、社長賞を出して、そのアイデアを形にしていくための海外を含めた体験ツアーに行ってもらいます。自分で新しいことをやりたくて入社してくれる社員も増えてきています。まだまだ女性が多い会社ですが、これからは男性も大歓迎です。

近い将来、ホールディングスを中心にランクアップグループとして、まずはビジョンとして掲げる「輝く女性が世界中に広がっていく世界」を実現したいと思っています。そして最終的には、世の中の人々、皆が輝く未来の実現に貢献したい。自ら事業を立ち上げ、経営者として引っ張っていってくれるような若い人材がどんどん現れてほしいですね。

ライター:佐藤 康生

(インタビュー内容は2018年5月の内容です)