愛情と敬意が
らーめんづくりの原点。

いまや世界でソウルフードとして脚光を浴びているラーメン。激化するマーケットの中で、独自の切り口でラーメンの可能性を広げている企業、それが中村比呂人氏が代表を務めるAFURI株式会社(本社:神奈川県厚木市)。テレビ局のADを皮切りにさまざまな仕事を経験しながらラーメンに辿り着き、その後も紆余曲折を経て“AFURIスタイル”を築いてきた中村氏。そのラーメンづくりの根底にあったのは、家族をはじめ関わるすべての人、そして自然への愛情と敬意でした。

そこに愛があるか

AFURIは、2001年に『ZUND-BAR』*1)をオープンさせて以来、これまで国内外に14店舗(2018年5月時点)を展開してきました。本格的な展開は2009年オープンの原宿店。自分たちのスタイルにこだわりながら、地に足をつけた事業を展開してきました。六本木ヒルズ店(2014年)や横浜ランドタワー店(2018年)といった商業施設への出店や、初のリゾート施設への出店となったトマム店(2017年)。さらには監修をさせて頂いた日清食品さんから発売しているカップらーめん*2)など、いろいろお声掛けをいただきますが、利益だけを前提に話を進めることはありません。というのも、儲かるか否かという観点より私たちが大切にしているものがあるからです。ではそれは何かと聞かれると、今後関わることになるパートナー様が、AFURIに心から愛情を感じてくれているかどうか、なのです。

*1) AFURIが、神奈川県厚木市七沢に出店したらーめん店。阿夫利山の天然水に、国産の丸鶏、魚介、香味野菜を贅沢に入れ炊き上げるスープを活かした美味しさもさることながら、店舗の構えや内装などそれまでのらーめん店の常識を覆した店舗として注目を集める。
*2) 独自の世界観を持つ日本ラーメン店がセレクトされコラボレーション(監修)する『日清 THE NOODLE』シリーズの4弾として発売。AFURIの一番人気メニュー「柚子塩らーめん」を、店舗と同様に小麦全粒粉を使用した麺で再現した。

現在進行中の海外出店計画も、まさにこうした思いを受け取って始まったプロジェクトです。この案件はある方から「AFURIを是非とも自分の国で展開したいと熱望している友人がいて…」というご紹介からスタートしたものでした。ありがたいことに、ここ数年は私たちもたくさんの国の、様々な実業家の方々から出店のお声掛けを頂けるようになってきており、その中にはAFURIが好きで…と言ってくださる方から、商売ありき・数あるラーメン屋の一つとしてお話を持ってこられる方もいらっしゃいます。そして今回その国は、日本から遠く離れた土地。僕自身も全く馴染みのないところで、はじめはピンと来ませんでした。僕たちはチェーン展開をしているわけではなく、1店舗1店舗手作りでお店を増やしています。多数出店を掲げて事業計画を組んでいるわけでもありません。作りたくても人手も足りない、という現実もあります。なので、折角ご依頼頂いてもなかなかお話を伺うにも及ばない、ということも多々ある状況なのです。今回も正直、あまり現実的ではないのかなぁ、というのが第一印象でした。しかし。一度お断りした後も、その方からAFURIへのラブコールが絶えませんでした。自らAFURI米国ポートランド店にも足を運んで下さったり、一度自分の国がどのようなところか見て欲しいとご招待下さったり。熱意に押され、直接詳しくお話を伺うようになりました。その国へリサーチに足も運びました。そんなステップを踏み徐々に、出店もありかもな…と心が傾きはしたものの、冷静な事業計画の数字の観点から見ると、理想の方が優ってしまっている抜本的事実が否めない提案。心苦しくも再度、丁寧にお断りを申し出ました。AFURIに対する愛が大事と言えども愛情、情熱、感覚だけでは事業は発展できないと思っています。それが言葉も文化も違う海外ともなればなおさらです。通常、幾度かお断りするとさすがに相手の方から、ではまた機会があれば…という感じになりお話がストップします。そういった意味、つまり一種のいい意味のしぶとさでこの方は違いました。その後も何度も数字を組み直し、スキームを練り直し、提案して下さりました。何週間もかけ、交渉を続けました。そして交渉の最終ー。熱意、ビジョン、ロジックの全てのバランスが均衡するところまで要素が整い、僕はようやく彼とパートナーシップを組むことを決断したのです。このお店は今、出店工事中でお店を作り込んでいます。みなさまにご報告できる日もそう遠くないので、楽しみにしていて下さい。

この様に自分の経営している飲食業を通して、様々なバックグラウンドや価値観を持つ世界中の人々と繋がれることは経営者冥利に尽きます。今後、その地を皮切りにヨーロッパ、さらには欧米以外のエリアへもAFURIを展開していけたら嬉しいですね。

AFURIを支える3つの仕組み

このような新境地への出店のお話は、人への愛と敬意を第一に考えるAFURIの姿勢をお伝えするわかりやすいエピソードかもしれません。しかし、もちろん想いだけではビジネスは成り立ちません。この新案件も、最終的にやってみようと決断できたのはAFURIとして経験を積んできた仕組みがあったからです。私たちAFURIが考えるその仕組みとは、「美味しさを生み出す仕組み」「利益を上げる仕組み」「人材を育成する仕組み」の3つ。僕はAFURIの経営を任せられた当初から、この3つをロジカルに捉え、組み立て、それらのレベルアップを追及し続けてきました。

例えば、創業時から採用しているセントラルキッチン方式。現在、東京・神奈川にある10店舗のすべての材料の仕込みは、厚木の『ZUND-BAR』の隣にあるセントラルキッチンで緻密に行い、自社便を毎日走らせています。これはAFURIの味を出来る限りぶらさないようにするにはどうすれば良いかを徹底的に考え抜いて辿り着いた仕組みです。らーめん店を運営していく上で、言わずもがな味は全ての中心。絶対的なものと言えます。一般的に考えると、各店舗でレシピ通りにらーめんを作った方が、新鮮で美味しい商品を提供できるイメージがあるかと思いますが、実際にはレシピ通りに調理しても作った人によって味が変わってしまうことがほとんど。なので、輸送という手間暇がかかってもセントラルキッチン方式と自社便にこだわりました。セントラルキッチンは、トマムとポートランドにも作りましたし、今後新たなエリアへ出店が決まればその各土地でも作っていくつもりです。

「効率」に母親譲りのセンスを加える

店舗の造作についても同様です。味を担保するための十分な食材費と、働いてくれる人たちの人件費をきちんと確保するために、いかに設計やオペレーションを効率化できるかがポイントでした。色々な分野飲食店の厨房・客席構造やサービズを研究し、行き着いたのはシンプルでミニマルなコックピットのようなキッチン。誰がお店に立っても無駄の無いオペレーションを可能にするために、店舗のレイアウトから調理台の高さまで1ミリ単位で作り込んでいきました。

僕には子どもの頃からこういった、「計算し尽くされた空間を創る」ということが好きで、一石で何鳥も…みたいなことも意識しています。例えば、AFURIの店舗では床に本物のパイン材を敷いています。ラーメン店では油を多用するため、通常タイルカーペットやクッションカーペットだとベタベタして、見かけも劣ってくる上に掃除にも手間がかかる。でも、パイン材にすれば油を吸ってくれ自然と良い意味で風化してくれる上に、掃除をする手間も省ける。この木材には特有の雰囲気があって、時間が経つほどに味わいが出てくるのです。ただの床の木材も、外面の良さだけではなくいかに現場のオペレーションの効率化に繋げられるか。そういったことを常に意識しています。

あと、小さなことで商品や店内が素敵に見えるような工夫もしています。神は細部に宿るとはよく言ったもので、器ひとつとっても味が変わるということがありますし、カウンターのUの字の具合、音楽や映像、照明等もその一つです。こうした小さいけれど大きな工夫を、らーめんの味を構成する大事な要素として、立体的に考えてきました。僕のこのあたりの感覚は、両親、特に母親から受け継いだものが大きいかも知れないですね。そういえば子供の頃よく母親が、道端に咲いている野の花を一輪挿しで床の間に活けているのを見ました。お金を掛けなくても、ちょっとした心ある工夫次第で、豊かな空間を創ることができるのです。

らーめんとの独自の距離感

僕の存在をいわゆる、昔ながらのらーめん店の職人肌オーナーとはイメージが違う、と言われることがよくあります。たしかにそうなのかも知れません。実際僕は、らーめんを一歩引いたところから見ることを心がけています。そしてそれは、らーめんを仕事にする上での、自分なりの危機感から来る思いだと思っています。僕自身はそもそも、らーめん一筋で生きてきた人間ではありません。社会に出て最初に就いた仕事は、テレビ局のAD(アシスタントディレクター)。ものづくりが大好きで、映像制作に興味があって夢見た仕事でしたが、現場を経験し、自分の志向と合っていないことを体感し1年半で退職しました。そこから、では自分に合ったものづくりとはなんだろう?と、考え抜く中で出会ったのが飲食事業でした。そんな自分の感覚に正直に、当時飲食業界で注目を集めていたお店にアルバイトで入社し、イロハを学び始めたのです。…っと、時を同じくして、実弟*2)がらーめんでブレークし時代の寵児のようになりました。弟は根っからのらーめん好きでX前には事業を興していました。AFURIは、この弟が2店舗目となる『ZUND-BAR』を出店した後、出資者である父親から経営を見てくれないか、と相談を受けたのが始まりです。この時はまだ、僕は家族が始めたらーめん店の助っ人的な立場で、自分がAFURIをずっと続けていくとは正直考えていなかった。だから現に、一度AFURIを離れているんです。『ZUND-BAR』を立ち上げ、次いで都内1号店となる恵比寿を立ち上げ軌道に乗せた頃でした。その間はアメリカへ1年間留学し、帰国後はAFURIとは関係の無い飲食店のコンサルティングを手掛けたりしていました。

そんな僕がなぜAFURIに戻ってきたかというと、やっぱり家族のやっている事業を支えたい、その一心です。僕が日本に戻ってきた頃には、AFURIは一時期の勢いは無く、企業として存続できるかどうかの瀬戸際にいました。そんな中家族から、「もう一度、力を貸して欲しい」と言われたんです。そんな風に真っ向から自分を必要とされて、中村家の長男として力を貸すのが当たり前ですよね。この時僕は、自分を生み並々ならぬ愛情を込めて育ててくれた家族のために、この事業を運命として受け入れ経営していく覚悟を決めました。そこからは、真っしぐらです。自分が経験してきた全てを注ぎ込んで、前述のような仕組みづくりにも取り掛かりました。スタッフが誇りに思える店づくりや、人材育成にも取り組みました。自分たちの信念や使命や心得を明文化した経営理念を策定したのも、このような考え方があったからです。

*2)中村栄利(しげとし)1999年9月、神奈川県大和市に麺処『中村屋』をオープン。研究を重ねたスープで作ったらーめんが評判の店となる。中村の湯切りは、その独特のスタイルから「天空落とし」と名付けられ、栄利氏はらーめん界の若きカリスマと呼ばれるようになった。

スタッフの成長と任せる勇気

経営者として取り組んだ3つの仕組みのうち、人材育成は経営の柱となる要素だと思っています。正直、現状の仕組みに完全に満足はしていません。ただ、学んでいくなかで少しずつわかってきたのは、人は任せることで成長するということです。それを実感させられたのが、ポートランドとトマムへの出店でした。

ポートランドへの出店計画は、僕の考え方に共感してくれた食のプロたちが集まり「彼らと一緒なら楽しいことができる」という思いから、3年間の構想を経てやっと実現したプロジェクトでした。店舗づくりは本当に楽しかったのですが、日本とのやり方の違いには戸惑い、現地の担当者とは散々ぶつかりました。「こんな料理を出されたら困る。AFURIじゃないよ!」からはじまり、店内で流れる音楽、照明器具の一つ一つに口を挟んでいきました。ご存知のように欧米流のマネジメントは「任せるなら任せる。任せた人が嫌なら首を挿げ替える」というもの。やってきたことへの自負も自信もあったので、死ぬほど悩みましたが、ある時点で思い切って、現地の責任者に全てを任せることにしたのです。結果、ポートランドは成功し、2店目開業へもスムーズに繋がっていきました。

トマムへの出店も、いろいろと悩みどころはありました。トマムを経営する星野リゾートさんとは考え方も近いし、コンセプトもストーリーも面白い。しかし、経営者としては感覚と勢いだけで展開を決めるわけにはいかない。冬はスキー場を利用するお客様がいらっしゃるから成り立つだろうけれど、夏はどうなる?セントラルキッチンはどうしよう?すぐに決断できないポイントがいくつも出てきました。そこで、社内の意見を聞こうと取締役の熊沢に相談したんです。すると思いがけず、何の迷いもない答えが返って来ました。「ヒロさん、なに迷ってるんですか?やりましょうよ!ポートランドでもやれたんだから、北海道でやれないわけがない。」気持ち良いくらいはっきりそう言われて、逆に僕が背中を押されたんです。この時は出店を決めた後、ほとんど口出しをしませんでした。トマムは、都心で展開しているAFURIと違って券売機も置かず、レストランのようにフルサービスを提供しているのですが、メニュー構成やレシピなどもスタッフに一任。今はみんな、自分たちで考えた新しいチャレンジを楽しんでいるようですね。AFURIという場に集ってくれた一人ひとりのスタッフを信頼して、彼らが成長できる機会をつくっていくこと。経営者としてこれからもっと意識して実現していくべき僕の使命の一つだと思っています。

阿夫利山の麓から世界へ

テレビ番組のらーめん特集に根強い人気があったり、旅先の町でわざわざ近くの美味しいらーめん店をGoogle検索したり。世界を見渡してもここまで人を虜にする食べ物はなかなか無いのではないでしょうか。広くて、深いらーめんの世界。そしてこの世界には、自分の弟をはじめ人生を賭けてらーめんと向き合っているツワモノがたくさんいます。彼らと渡り合うためには、自分が持っている経験や知識や感性、それら全てを総動員しなければ、同じ土俵にすら立てないと思った。店に行くだけで心地よくなってしまうような空間づくり。器や内装などディテールへの、細かすぎるほどのこだわり、これらを支える仕組みづくり。こうして体現され積み重ねられてきたAFURIのスタイルが、嬉しいことに今国内外の多くの方々に受け入れられています。しかし、スタイルというものはそう簡単に確立されるものではないし、むしろ常に変化すべきだと思っています。磨き続けなければあっという間に飲み込まれます。らーめんは、それほど厳しい世界だと思っています。

AFURIの社名をいただいた阿夫利山。子どもの頃からずっと見てきたその山は、自然の移り変わりをただ静かに受け入れながら、いつも威風堂々としています。僕たちの原点である阿夫利山のように、AFURIも凛と謙虚に、関わる人すべてに愛情と敬意をもって、自分たちらしい挑戦を続けていきたいと思っています。

ライター:佐藤 康生

(インタビュー内容は2018年2月の内容です)